まるで春かと思わせるような天気があったかと思うと16日に雪が積もった高野山です。冬の始まりも終わりも三寒四温で、徐々に変わっていくのですね。先日ケーブルカーの新調工事が終わり、参拝者が少し増え始めました。きっと皆さん積雪に驚かれたでしょう。
そんな高野山では、13日に転衣式が行われました。転衣式は一年間、弘法大師の名代として務められる法印と呼ばれる高野山真言宗最高位に就かれる式です。そして法印になられると緋色の法衣に変わります。
話変わって、表具の裂地の中で「高野裂(こうやぎれ)」と呼ばれる裂地があります。これは名のとおり高野山由来の裂地といわれております。
高野裂は綾織りという織り方で織られ、基本的には後から染めます。当店でも色を指定し、染めてもらっております。とても柔らかい裂地で、綺麗に柄を揃えて裏打ちするのは少し難易度が高いです。
この裂地は、織り方などについては調べると出てきますが、どういった経緯で高野山由来の裂地となったのか、よくわかりません。昔、私が京都で修行中のころ聞いたのは「茹でるらしい」とか「叩くらしい」といったことで、長年なぜ高野裂と呼ばれるのだろうと思っておりました。結論からいうと未だにわかっておりません。今度、高野山大学の図書館で調べてみようと思っているところです。
ただ、上記の茹でる・叩くといったことについてはなんとなく見当がつきました。
まず、「茹でる」これは高野裂が後染めの裂地だということに答えがありました。染色する絹織物は精練と呼ばれる工程を行います。絹糸の表面はセリシンという物質で覆われており、お湯で煮ることでセリシンを取り除きます。これにより絹独特の光沢が出ます。高野裂を茹でるというのは、この精練工程のことだろうと思います。
もうひとつの「叩く」これは、ある道具について調べてわかりました。皆さんは砧(きぬた)と呼ばれる道具をご存知でしょうか。僕は実物を見たこともなく画像をお借りするのもあれなのでイラストにしてみました。
こんな感じの木製の叩き棒です。これと木や石の板がセットで使用されます。昔は家庭で普通に使われていたようで、たとえば糊のきいた洗濯物を砧で叩くことで、しなやかさを持たせ、光沢を出したそうです。他にはアイロンのようにシワ伸ばしにも使ったそうです。語源は「衣板(きぬいた)」で板のほうが砧と呼ばれていたのがいつの間にか叩き棒を砧と呼ぶようになったとか。ちなみに父親の故郷での呼び名は「つちのこ」
そして砧は反物の仕上げでも使われているそうです。つまり高野裂を叩くというのは、仕上げに砧で叩き、しなやかさを持たせることなのだと思います。ただ、今でも叩かれているかどうかは疑問です。
これで、茹でる・叩くことについては概ね見当がついたわけです。
本題の高野裂の由来については、古い高野裂を見ると大概、赤橙色をしており高野山由来のこの色となれば法印様の緋色の衣と結びつきます。よって高野裂はこのあたり由来なのかな~と勝手に思っております。